「人生100年設計」という、とても曖昧な言葉

人生100年設計」という言葉をテレビで見たり、新聞で読んだりするけど、100年の設計をするのは無理だと思う。

だって、今から100年前の人が現代の発展具合を予想するのが無理なように、2118年の事を考えて現在を行動するなんて無理ゲー過ぎる。

それとも、100年後を念頭に置いて現在を計画的に生きれるほど人間は優秀なのか?

 

100年を設計するなんて思想は驕りがとても含まれているように俺は思う。

ましては、日本なんて台風とか地震とか外的要因で暮らしが一変してしまうことなんて皆知ってるはずなのに。

 

だからといって、今を刹那的に生きることは間違いなくっていると思う。

大事なのは100年生きるか、200年生きるかに違いはなくて、人は「死」に向かって生きているということを想像しながら生きていくことだと思う。

 

人はいつか死んでしまう。そのことは、不老不死の薬が開発でもされない限り、未来永劫変わらない真理だ。

だから、たまにでも良いから自分の死に際を想像して生きるべきだ。

自分の死に際を想像するということも、もしかしたらとても驕りに満ちた行為なのかもしれないが、

死に際を想像することで、見えてくるものもあるのではないかと思う。

 

なんか屁理屈をこねたような文章な気もするが、結論しては、

人生100年を設計して生きることは無理だぞ」ということを私は言いたい。